人生激辛ソムタム

風呂なしアパート20年の日々とタイ・インド

歯医者の思い出(1)

歯医者には苦しめられてきた。

はじまりはYゾエ歯科だった。

小学校3年生の歯科検診で、奥歯にバツをつけられた。C1だとかC2なら削って終わるが、バツは抜歯だ。おびえながら母に訊いた。

「これどうしたらいいん?」

「抜かんとだめらわ。ヨシゾエに行きなせ。女の歯医者だすけ痛くしねわ」

本当に痛くしないのだろうか。疑いつつも、母が勧めるのだからと出かけた。

呼ばれて入ると、なかには診察椅子がいくつもあり、女医も1人ではなかった。恰幅のいい女医が、受付に出していた歯科検診の紙を見ながら現れ、

「はい、口開けて。あーここね」

液体の入った注射器を持ってきて、前の台に置く。針の太さと曲がった形状に、おびえが頂点に達する。こんな太い針を刺すのか。どうしてこんな曲がっているのか。

女医は注射器を持つと、無造作に口に入れ、口のなかの上の堅いところに力づくで突き刺した。瞬間、激痛と同時に目のなかで光が点滅した。なんで歯ぐきではなく上に刺すのか。

女医はなかなか戻ってこなかった。目の前の大きな窓の向こうを電車が何回も走り過ぎる。刺されたところが口のなかの上のところなので、鼻まで麻酔が効いている。しかし早く抜いてくれないと麻酔が切れて、今度は注射どころの痛みでは済まされない。

やっと戻ってきた女医は、また無造作にペンチを口に入れ、歯を抜いた。痛みはなかったが、脱脂綿を噛ませるなどの処置をしてくれず、流れ出てくる血を飲み込みながら待合室に戻った。

名前を呼ばれるのを血をひたすら飲みながら待っていると、だんだんと気持ち悪くなってきた。早く呼んでくれないだろうか。麻酔も切れてきて、痛みも出てくる。やっと受付から声をかけられた。

「あれ、待ってたの?お母さんが払っていったんだわ。帰っていいんだわ」

帰宅後、母に文句を言った。

「ものすげ痛てかった。金も自分で払うんかと思って待ったった」

痛み止めも抗生物質もないまま、血が止まったのは翌日だった。

バービアの蝶

タイ、パタヤ。普段は閑散としているバービアだが、ダンサーがいる日は賑わう。きわどい衣装の女たちが、イサーンの歌に合わせて踊る。煽情的なダンスで、見ているだけで華やいだ気持ちになる。

そんなダンスをAeと見るのは楽しかった。カレッジを卒業していると言い、わかりやすい英語を話した。フェイスブックの表紙が高校生の娘だった。

ダンサーが性をことさら誇示するように踊ったとき、歌詞の意味を訊いた。

「蝶になった女が、男のまわりをひらひら飛んで誘惑している」

言いながら両手の親指を交差させ、宙で蝶のように動かした。

半年後に会ったAeの目はぎらついていた。落ち着きがなく、少し痩せたようでもあった。

次に会ったときは明らかに痩せていて、目が前より大きく見えた。薬をやっているのだろうと思った。

昨年行ったとき、バーは取り壊され別の店になっていた。

Aeのフェイスブックツイッターが更新されなくなって、1年以上がたつ。

はじめてのインド(3)

21時に横になるが、ドアの外が騒々しくて眠れない。それでもいつのまにか眠っていて、0時に目を覚ましたときは静かになっていた。

7時に部屋を出る。鍵を返しに行くと、従業員の子供たちが、フロントの後ろの狭いスペースで折重なるようにして眠っていた。

ガイドブックで良さそうなことを書いているYMCAへ行く。歩いても行けそうな距離で、スーツケースを転がしながら行く。

フロントは階段を上がったところにあった。が、その階段が長い。スーツケースを持って息を切らしながら上がる。タイなら手伝ってくれそうなところだが、インドではただ見ている。

やっと上がり、フロントのおやじに指示されるまま、宿帳に国籍や名前を記入する。朝食付きで1050ルピー。息があがって、書きながら汗が流れ落ちる。起きて間もないのに急な運動をしたせいで気持ちが悪くなった。

タイの公衆電話

携帯電話がまだ一般に出まわっていない頃、タイで電話をかけるのは大変だった。安宿の部屋に電話機はなく、必要なときは公衆電話を使うしかなかった。

が、騒音のひどい大通り沿いを避けて探すと、なかなか見つからない。やっと探し当て、使おうとすると壊れている。隣の電話機に移っても同じ。ダイヤルボタンが堅くて押せなかったり、押すと戻ってこなかったり、コードが千切れているのもあったりして、呼び出し音を聞くまで1時間近くかかることも珍しくなかった。

それがいまはシムカードを入れ替えれば、日本で使っているスマホがそのまま使える。会話だけでなくメールやネットまでできる。苦労がなくなったぶん達成感も目減りしたのだろうが、旅がラクになったことは間違いない。

公衆電話はタイでも撤去が進んでいるが、いまでも見かける。苦労させられたからか、目にすると懐かしい気持ちになる。

パタヤのスターバックス

混んでいるので日本ではほとんど入らないスターバックスに、タイでは入る。

最近はパタヤも、インド人や中国人が増えて混んでいるときがあるが、それでも日本よりは落ち着いて過ごせる。

この日もコーヒーを飲みながらくつろいでいると、どこかで携帯が鳴った。黒Tシャツの男らしい。が、どうしたのか鳴るままにしている。気になるのだろう、じんさんが新聞から顔を上げ、男を見ている。電話が鳴りやむと、じいさんもまた新聞に目を落とした。

が、また電話が鳴る。男はまたもや鳴るままにしている。10回、15回、20回・・・。コールが続く。イラだったじいさんが席を立ち、男に近づいていく。男のテーブルのすぐ前まで来たとき、電話は鳴りやんだ。じいさんは男になにか言いたそうな素振りを見せたが、そのまま席に戻った。

今度鳴ったらどうなるのだろう。不安と期待を胸に見ていたが、男は用事でも思い出したのか、手早く荷物をまとめると足早に出て行った。

はじめてのインド(2)

TOURIST INNという宿を予約していた。ホテルの予約はめったにしないが、今回はしていた。フロントと思われる古びた事務机にいる若い男に、予約してある旨と名前を言う。が、満室だと返される。こういうこともあるだろうと、プリントアウトして持ってきた予約済みの返信メールを見せる。すると若い男は横にいる荷物運びのおやじたちを怒鳴りはじめる。このおやじたちがどう関係しているのかわからないが、ことの展開を期待して待つ。が、若い男はおやじたちを怒るだけで埒が明かない。

諦めて外に出ると、荷物運びのおやじが追ってきて、スーツケースを頭に上げて運んでくれる。ついて行くと近くのホテルに入っていく。人を紹介すれば金をもらえるのだろう。居心地良さそうならそこでもよかったが、フロントまでの通路が狭く、フロント自体も安っぽくそんなふうでもない。

HOTEL SHAMSに行かせる。TOURIST INNの次の候補としてメモしていた。フロントは12~13歳ぐらいの子供だが、対応はしっかりしている。訊くと800ルピーだと言う。TOURIST INNより大幅に高いがエアコンがある。一泊分払うと、きちんと領収書をくれた。

部屋に荷物をおろし、ひと息ついた。フロントでさっきチョコレートをもらったことを思い出し、包みを開ける。ホワイトチョコレート。疲れているときは甘いものがうまい。インドの旅は危惧したとおり大変だが、変なところで気が利いている。ひと口かじると、それはチョコレートではなく石鹸だった。

はじめてのインド

インドへはじめて行ったのは2011年。44歳のときだった。バングラデシュに行ったことはあったが、インドは知らないままで、それではアンバランスだという思いがあった。バンコクからエアアジアが就航し、安く行けるようになっていた。

が、しだいに行くのが億劫になり、当日も早起きはしたものの出かけるのが面倒で、ぐずぐずしていた。このままタイにいれば楽しく過ごせるのに、なんでわざわざ大変そうなところに行かなければならないのか。

しかしせっかく取ったビザや航空券を捨てるのも惜しく、渋々空港に向かった。内心ではなにかトラブルが起こり、フライトが中止になればいいと思っていた。

願いは通じず、なにも起きないまま機内に腰をおろしてしまう。が、やっぱり行きたくない。このままタイにいたい。体調が悪くなったと言って降ろしてもらおう。言い出す機会をうかがっているうちに、飛行機が動き出す。

もう引き返せない。

それがわかった瞬間、治ったはずのパニック症の発作が起きかけた。