人生激辛ソムタム

風呂なしアパート20年の日々とタイ・インド

独居日乗 2.28(金)

タイにはじめて行った31歳のときと翌年の32歳のときは、なにをどう撮ればいいかわからなかった。カメラを入れたバッグを持ち歩くだけで、1枚のシャッターを切れない日もあった。怒られたらどうしようという思いばかりが先に立ち、人にカメラを向けることができなかった。

35歳のときにタイに3か月滞在し、そのときから少しづつ撮れるようになった。夜の世界で生きる女たちやカレン族の難民家族のもとに通った。

撮った写真が貯まってくると、写真集を出したいと考えはじめた。本が出れば人生が好転するだろうと、いくつかの出版社に持ち込んでみたがうまくいかなかった。

本がだめなら写真展しかない。そう思いニコンやキャノンのギャラリーの審査を受けた。貧乏のなかで審査を受けるためだけに10万円近くのプリント代は払えず、安いところで3万円であげた。仕上がった写真は色が悪く安いなりのものだったが、写真自体は社会派雑誌の公募に送って著名な写真家に褒められたこともあって自信があり、落ちるわけがないと高をくくった。

受け取ったのは落選の通知だった。納得できず、プリントを取りに行ったとき理由を訊くと、「内容だけでなくプリントを含め全体が審査の対象」と言われた。

自費出版も考え、写真を見てもらいもしたが最良な方法とは思えず、手詰まり状態が何年も続いていた。が、金村修の本を読んで気が晴れ、新たな気持ちでまた写真の本や雑誌に手が伸びるようになった。調べてみると昨今は写真ギャラリーも増え、レンタル料が必要なところでは、審査のプリントを金をかけて用意しなくていいことがわかった。

そんなことは写真の学校に通っていれば二十歳の人でも知っているのだろう。それを考えると出遅れてしまった時間の長さに頭を抱えてしまうが、どのギャラリーでどう見せるかを考えながら、いま写真展をまわりはじめている。